沖縄も朝晩がすっかり過ごしやすくなりました。
さて
世の中には賛成と反対の両者が
必ずいるものです。
今の時代は少し違うかも知れませんが
私たちは子どもの頃から
何かものごとを決めるときには
多数決をとって決めてきたものです。
例えば
クラスの学級員長を決めるときにも
候補者が複数有れば
最後はみんなで目を閉じて
希望する候補者に挙手をして
多数決で決定したものです。
その頃から、
一定の集団の中でものごとを決定するときには
色々な考え方の人がいて
人の考えは必ずしも一枚岩ではない
ということを無意識の中に意識してきたものです。
それが、
地域の小学校という枠の中でさえそうですので
これが中学校・高校・大学・社会人など
集団の範囲が大きくなればなるほど
色々な人の割合も増えてくるものです。
このことがきちんと理解出来ていると
今回の国葬についても
賛成・反対の両方の意見があるのは
ごく当たり前のことだと理解出来るものです。
そして、
賛成意見の人も反対意見の人も
自分の意見を主張しながらも
相手をリスペクトする気落ちは常にあるものです。
しかしながら
このあたりの理解が足らず
「自分の意見こそが正しい」と思うようになると
自分と反対の意見を持つ人の言うこと自体が
受入れることが出来ず、
これがエスカレートすると
相手を攻撃したり、
存在そのものを否定するような行動を取ったり
自己中心的な行動を取るようになるのです。
沖縄でも
賛成・反対の両者に意見が分かれる議題が
たくさんあります。
よく取り沙汰されるのは
米軍基地や自衛隊ですね。
これにも賛成・反対の両方の意見があるのは
仕方の無いことですが、やはり忘れてはならないのは
相手に対するリスペクトですね。
日頃は自衛隊に反対の人でも
自分の身内が自衛隊に入隊し
汗水垂らして訓練しているのを想像したら
それはそれで尊重しますよね。
また、コロナが蔓延し
医療従事者が不足した際には
自衛隊が応援に駆けつけてくれたりもします。
今回の静岡県での断水のように
自然災害が発生した際にも
自衛隊の人たちが復旧を手伝ってくれるおかげで
住民の命や生活が守られることもあります。
また、マスコミを含め
日頃は目の敵にされることの多い米軍も
今後自分らの大切な人たちを
助けてもらう場面が出てくることも
十分に予想されます。
台湾有事のことですか?
それもあるかも知れませんが
もう少し身近なのは
南海トラフト地震による震災です。
沖縄近海で津波が発生すると
海沿いにある那覇空港は水没し
また各所にある港も被害を受け、
沖縄の空・海の物流が停止します。
このとき、代わりに物流の拠点となるうるのは
普天間基地と嘉手納空港の一部です。
日本政府からの要請により
米軍は普天間基地と嘉手納基地の滑走を
被災地沖縄の復興のための空路として開放してくれるでしょう。
命をつなぐための最低限の物流が確保され
それにより、家族など
私たちの大切な人たちの命を守ってくれることになります。
そういう可能性を想像すると
いくら米軍反対とは言え
相手を完全否定するような言動は出来ないものです。
賛成・反対の意見を持つのは個人の権利ですが
自分と反対の意見を持つ相手や
反対意見の対象となる人たちに対するリスペクトを忘れないことが
いつか自分に返ってくるものです。