湿度が下がった朝は
すっかり過ごしやすい沖縄です。
さて、
不動産は色々な側面を持っていますが
資産価値や収益性を持つという点から
「お金持ちの形の一つ」という面があります。
世の中にはお金持ちはたくさん存在し
経済の8割はその人たちの財で構成されているとも
言われています。
そして、このお金持ちの方々は
ご多分にもれず不動産をたくさん所有し
悠々自適に暮らしていらっしゃいます。
沖縄にも
大なり小なりお金持ちの方々はたくさん存在し、
広い家に住み、高級車に乗り
日々、美味しい食べ物を食されています。
しかし、その一方では
相当な歳になっていても
いまだに現役でバリバリ働いている人も
周りにたくさんいらっしゃいます。
80歳代の半ばを迎えても
社長として日々セッセと働いている人。
自分が創業し大きくした会社を
息子を社長として引継ぎ
会長職としてサポートしている人。
70歳代でも
毎日現場を飛び回っている
職人カタギの人。
これくらいの歳になると
もう悠々自適に暮らしても良い歳なのですが
さすが長寿県沖縄はまだ顕在です。
しかし
いくらお金持ちであっても
不動産をたくさん所有していても
それだけで人生の幸せを得られる訳ではありません。
財や不動産があるがために
かえって不幸を感じることもあるようです。
例えば
80歳を超えても社長として働いている人は
若いときに建てた大きな屋敷の借入れや
会社の事業の借入れがまだのこっており
それを返済するために
自分にムチを打って働いていらっしゃいます。
また別の人は
会社の規模が大きくなり
ようやく息子に事業の継承が出来たかと思ったら
息子とはソリが合わなくなり孤立状態になってしまっています。
また、相続を考慮し
奥さんや子どもの名義で
不動産をセッセと購入した人は、
奥さんや子供たちとは絶縁状態になってしまったため
今では家族からは何の感謝の念も持たれていない状態です。
その他にも
大事に育ててきた一人娘がヘンな男に引っ掛かり
家出同然で出て行ったきり
音信不通となってしまった人。
また、子どもが先に
死に別れとなってしまった人・・・
財産や不動産は
あった方が良いに越したことはありません。
しかしながら
そこに重心を置き過ぎると
目の前にある「小さな幸せ」に
気が付かなくなることもあります。
そして、「幸せ」自身も
自分が必要とされていないと思うと
必要としてくれる人の方へ
離れて行ってしまうものです。
財産や不動産など
大きな幸せを得ることが出来るものを所有するときでも
目の前にある小さな幸せのことも
忘れないようにしなければならないということでしょう。